2022年12月11日日曜日

スケジュール遅延の言い訳


・Knuhsの書斎 から転載

── 裁判員制度

 旧版の【素歩人徒然(62)】「裁判員制度」(2008-1-1)の原稿は2007年末に書いたものですが、執筆当時はまだ守秘義務もあり詳しく書くことができませんでした。文章も未熟でした。その後【今だから話そう(2)】欄の「グリーンベレー」で仕事の詳細を報告しましたので、こちらの原稿も書き直すことにしました。タイトルも変えました(2022-12-9)。
▼裁判員制度の導入
 2009年春から日本でも裁判員制度が始まった。新しい制度の導入時には、私も自分がもし裁判員に選ばれたらどう対応したらよいかと考えるようになった。国民としての義務を果たしたいと思う反面、他人を裁くという行為では責任の重さについて悩むことになるのではないかとも思った。しかし、多分一番迷うのは当面の自分の仕事に対する影響から「辞退したい」という気持ちになるのではないか、という点であった。

 当時、私は大学の教師をしていたので、裁判長との面談の際に「自分は教師をしているので、講義を休むことになれば卒業に差し支える学生も出てきます」などと情けない辞退理由を説明している自分を想像したりしていた(本当に情けない(!))。

 裁判長は候補者と面接した後、別室で検察官、弁護人と協議し最終的に裁判員6名を決めるのだそうである。辞退しないでいて運よく(?)選ばれなかった場合でも、今度はなぜ自分が選ばれなかったのかとその理由を知りたくなるかもしれない。いずれにしても厄介なことである。

 アメリカでも同じように陪審員制度というのがある。日本とはだいぶ様式が異なるが、仕事との関係ではやはり問題になることが多い。それにまつわる話をしてみようと思う。

【 続きは、本文の方を読んでください。 】



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