2018年8月31日金曜日

「私の本棚」をアップデートしました



http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/wyoteiblog.htm

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32  海外文学:アクロイド殺害事件     
2018-09-01 [掲示中]
33  数学:高木貞治 解析概論  
2018-09-01 [掲示中]
34  プログラム言語:APL\360  
2018-09-01 [掲示中]



2018年8月19日日曜日

私のサイン


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── 私の使っていたサイン


 最近、高木貞治著 増訂版「解析概論」を書棚から取り出して何となく眺めていたら、昔使っていた私のサインを発見しました。裏表紙を開くとその左上隅に斜めに書かれていたのです。


( 裏表紙の裏にサイン )

 【私の本棚(21)】「小松崎 茂の世界」でも触れましたが、私は小松崎茂氏のサインを真似て自分専用のサインをデザインしていたのです。学生時代はそれを使っていましたが、企業人になって海外出張したり、アメリカに住むようになってからはもっと簡便なものに変えてしまいました。

 実生活上でサインを多用する環境にいると、複雑で時間が掛かるものより素早くサインできるものが必要になります。

 たとえば、アメリカでは管理者は必ず週報(Weekly Report)を書きますが、職場ではそれが回覧で回ってきます。それを読んだら、自分が読んだことを示すサインと日付を、そして必要ならコメントを書き添えて次の人に回します(これが礼儀でした)。

 回覧の最終受取人はもちろん発行者になりますから、サインから誰が何時読んでくれたか、内容に問題があればコメントを通じて確実にフィードバックされます。このようにして日々の情報が共有されていたのです。これはメール文化が発達する以前の話ですが、誰でもが承知している慣行でした。現在のようにメール文化が進んだ環境ではどうでしょうか。別な面で、いろいろな弊害が出ているのは周知の通りです。

 また、自分のサインは誰が見てもそれと分かり、しかも他人には真似されないような単純なものが有利であることも学びました。余り複雑なサインは避けた方がよいのです。

 最近、トランプ大統領が「大統領令にサインする儀式」をこれ見よがしにやっていますが、あれは自分を必要以上に重々しく見せるためのものでこけ脅しのためのサインであるとも言えましょう。普通に使うサインは簡便なものに限ります。


( 私の昔のサイン )

 以前用いていたサインに出会い、昔の職場での出来事などを思い出しています。メール文化の申し子のような方々の感想を聞きたいものですね。

2018年8月1日水曜日

今日の日記から


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── 日傘デビュー


2018年8月1日(水) 晴 (猛暑日)

 今日は朝起きたときから心に決めていた。今日こそやってみよう。

 朝9時半頃 家を出るとき、私は(決然として!)日傘を差して出かけることにした。強い日差しを避けるためには男も日傘を使うと良いと以前からすすめられていたのだが、なかなか実行する勇気がなかった。しかしこの猛暑が切っ掛けとなり、私にもできそうな気がしてきたのだ(本物の日傘は持っていないので、小形の携帯傘にした。大形の雨傘はやめた方がよい)。

 人目は気にしない!(ことにした)。雨が降っていると思えばよいのだ。やってみると何の問題もない。普段は歩道を走る自転車が猛スピードで私の傍らを走り抜けていくので、何度も当て逃げされ怪我に泣かされてきたが、傘を差していると護身用の杖など必要ないことが分かった。


 ( 携帯傘 ) 

 雨が降っていると思えばよいと書いたが、やはり暑さは変わらないようだ。紫外線を直接浴びるのは防げるようである。傘を差したからと言って熱中症で倒れる危険性がなくなる訳ではない。しかし傘を差した男性の高齢者が倒れたら、これはニュースになるだろうなと思った。同情はされても、無謀だと叩かれることはないだろう。その位の差でしょうね、きっと。

 目的地に着くと傘を素早く畳む。ボタン一つ押せば自動で畳み込まれるタイプなのでスマートに操作できる。普段雨の時は、ここで傘を一振りして水滴を落とすのだが、そんな必要もない。その代わり私の方が(汗で)濡れそぼっているではないか。日差しは避けられたが、暑くて汗まみれになるのはやはり避けられないようですね。

 8月1日は、私にとって“日傘デビューの日”となりました。


「私の本棚」をアップデートしました。


  1. 海外文学:スコット・トゥロー           
  2. プログラム言語:プログラミング(ALGOLとFORTRAN)  
  3. プログラム言語:PL/I               
  4. スポーツ:'64 東京オリンピック          

2018年7月30日月曜日

ウォーキング考


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── ウォーキングをしながら考えた


▼運動に適した時間帯

 最近の異常な暑さのせいで、私は自分の日々の運動時間をどこに設定したらよいか迷うことが多くなっている。昔は早朝が一番のゴールデンタイムだった。特に夏場などは暑くならない内に朝の運動を済ませてしまうと、一仕事済んだような気持ちになり一日中満足感にひたれたものだ。

 歳を取るにつれて運動の種類は、サイクリングやジョギングからジョーキング([jog+walk]ing)へ、そしてウォーキング専門へと変わっていった。そして朝一番の運動は、夏冬を問わず身体には良くないという医療関係者の意見を取り入れ、今では昼間の時間帯に限ることにしている。紫外線が一番強い時間帯は避けるべきだという意見を聞けばすぐさま取り入れて、最近は午後3時過ぎから活動を始めるようになった。

 3時過ぎだと夏などはまだまだ日差しが強く暑い時間帯だが、普段から運動には慣れているので熱中症にはならないだろうと(特段の裏付けがある訳ではないが)自信を持ってしまっている。しかし高齢者の体力というのは、本人の自覚なしに急速に衰えるものらしいから、昨日まで通用した身体が今日はもう持たない事だってありうる。自信過剰のままこの暑いさ中に運動などして倒れたりしたら、それこそ世間から「非常識な年寄り」と見做され叩かれることになろう。

 そこへきてこの連日のスーパー猛暑である。年寄りの思い込みほど怖いものはないから気を付けよう。そう思って時間を更に遅らせ、夕方の6時過ぎから運動をすることにした。やってみると、厳しい日差しも陰り気持ちよくウォーキングができるようだ。多摩川のサイクリングロードに出ると、結構スポーツに励んでいる人たちがいる。大学駅伝の選手たちが4,5人のチームを構成し自転車の伴走者とともに一団となって追い越してゆく。そういう集団に3回程出会っている。今や夕方の時間が運動のゴールデンタイムになっているようである。しばらくはこの時間帯でいくことにしようと思う。


▼体内時計

 ウォーキング中に他の人に追い越されるのは慣れているが、だからと言って追い越されまいと負けじと頑張るような はしたない(?)真似はしないことにしている。しかし最近は女性にも追い越されるようになり、これは何か対策を講ずる必要があると思うようになった。お互いの歩測や歩幅を比べてみても、それほど差が大きい訳ではない。それなのに追い越された後はみるみる差がついてしまう。こちらは若い頃と同じような積りで歩いているのだが、それでもこの差である。この差は一体何が原因だろうか?

 私は、人間の体内時計の進み方には個人差があるのではないかとかねがね思っていた。つまり歳を取ると人間の体内時計は、若い頃より進み具合が遅くなるのではないか(*1)。
【注】(*1)私の体験によれば、
 「体内時計は加齢とともに遅れていく(木下仮説)」
 この仮説にしたがえば、すべての辻褄が合うような気がするのである。
 たとえば、若いときと同じような積りで歩いていても、遅れる時計を持っていたのでは結果として遅れてしまうことになる。齢をとると1年という時間が速く感ずるものだが、それは遅れる時計で測っているのだから道理である。子供の頃の1年間は長かったが、大人になると1年は驚くほど短く感じる。

 年寄りになって初めて知ったことなのだが、これは「そういう感じがする」と言う表現だけで済ませてよい問題ではないと思うのである。実は本当に遅くなっていると“考えるべき”ではないか。

 年寄りの動作が遅いのは、決して怠けているからではない。普段から精一杯「思考」し、精一杯「活動」し、精一杯「行動」している“積り”なのだ。コンピュータのサイクルタイムと同じように体内時計はその人の身体に最適なテンポ(tempo)で時間を刻みながら身体全体の活動を支えている。あの動作が、その人の身体に最適なテンポ(サイクルタイム)なのである。年寄りの行動を、そのような目で見て欲しいものである。


▼ウォーキング中の歩測と歩幅

 ところで、私はウォーキング中は歩測(歩速と書きたいなぁ)では負けていても歩幅では負けないよう普段から努力している。ラジオで医療関係者が言っていたが、横断歩道に描かれている黒白のライン上を歩くときは、白い線を踏まないように歩くことを指導しているそうである。

 私も試してみたがこれがなかなか難しい。歩道に一歩踏み出した直後は、ほぼ理想的な歩幅のような気がするのだが、次第に累積誤差が生じてきて横断歩道を渡り切る頃にはもう歩幅が足りないことが明確になってしまう。これ以上歩幅(*2)を広く取るのは自分には無理なようである。どなたか試してみられよ。
【注】(*2)歩幅というものは、自分の身長の高低により影響を受ける可能性があるから、この方法で一律に扱うのは無理ではないかと思う。私の身長は(大切な個人情報を惜しげもなく暴露すると)169センチ程である。最近の人間ドックの結果では、167.6センチと計測されている。2センチ近く短くなっているが、これは白衣の検査技師の前ではどうしても身の縮む思いがして身長が短くなってしまうからであると信じている。白衣高血圧になぞらえて、私はこれを“白衣萎縮症”と呼んでいる。



2018年7月1日日曜日

私の本棚(27):「ドナルド・クヌース先生の本」



 http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/shef27.htm
:
 ・名著の初版本では ‥‥ ?
 ・TeX の発音の仕方は ‥‥ ?

2018年6月29日金曜日

私の本棚(26):David Griesのコンパイラ作成法


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── コンパイラ作成法


 私の本棚を紹介します。

 第26回は、デヴィッド・グリースのコンパイラ作成法の本を取り上げます。


 上掲写真は、
・Gries「Compiler Construction For Digital Computers」

です(詳細は【解説欄】を参照してください)。


▼驚き(その1):こんな本が売られている!
 MIT(Massachusetts Institute of Technology)の北側に“テクノロジー・スクエァ”という場所がある。その辺りには名前の通り多くの技術系の会社や研究所が存在していました。その一角にある とある研究所で、私は仕事をしていた時代がありました。昼休みになるとMITのCo-op内の書店へ行っては技術書を漁っていました。

 そこで発見したのがこの本です。当時、新しいプログラム言語のコンパイラー開発を担当していたので、仕事に直結する書物を捜していたところだったのです。当時はまだ「コンパイラ作成法」だけを直接説明している本などありませんでしたから、この本を書棚から発見した時は、心底驚きました。アメリカではこんな本が売られているのだ! と。

▼驚き(その2):簡単に本が作れるかも‥‥!
 もう一つ驚いたことがあります。それはこの本が、コンピュータ出力として当時見慣れていた“ラインプリンタ出力”そのものを印刷したものだったからです。当時コンピュータ技術者が、普通にドキュメントとして用いているものが、そのまま書籍になっていたのです。

 ラインプリンタ出力そのままでは、今の感覚ではさぞかし印字品質が悪いだろうと思うでしょう。確かに印字品質は最低だったでしょうね。でも、私の最初の印象は、我々技術者の書いたものをそのまま本にできるのだ、という素朴な驚きでした。

 当時は、本を作りたければ著者は原稿を手書きし、あるいはタイプで原稿を作り、出版社の側の編集者がそれを読んで手書きで修正します。その結果を著者に戻し最終原稿を仕上げるのです。その段階が済むといよいよ活字を拾う専門家に渡されるのが普通でした。そして、ゲラ刷りができるといよいよ校正作業が本格化していくのです。

 したがって執筆者の思いがそのまま正しく伝わり書物が出来上がるということは絶対にありえない事だったのです。本を作るのは、何度も何度もやり直しが必要となる難しい仕事でした。そして出来上がった本は、多くの人達の妥協の産物だったのです。それが、もしかすると著者の思いがそのまま本に反映できるのではないか、という夢のような希望が生まれてきた瞬間だったのです。

 これ以後、DTP(Desktop publishing、デスクトップ・パブリッシング)の時代になっていくのです。その意味では、この本は私にとって大切な、貴重な本なのです。


【解説欄】

▼David Gries「Compiler Construction For Digital Computers」

・表紙

 
 ( カバー付きの表紙 )     ( 本体の表紙 ) 

 


・目次


 ( 目次 1,2,3 ) 


・内容の例


( 内容 1 )     ( 内容 2 )     ( 内容 3 )




デヴィッド・グリース
David Gries
(Wikipedia から引用)



▼本の詳細
(1)Gries 「Compiler Construction For Digital Computers」:Copyright (c) 1971 by David Gries, John Wiley & Sons,Inc. ISBN 0-471-32776-X【初版本】


2018年6月22日金曜日

私の本棚(25):ピエール・ルメートル


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── ピエール・ルメートル


 私の本棚を紹介します。

 第25回は、ピエール・ルメートルの本を取り上げます。


 上掲写真で、右から順に、
(1)「その女アレックス」、
(2)「悲しみのイレーヌ」、
(3)「傷だらけのカミーユ」、
(4)「天国でまた会おう(上)」、
(5)「天国でまた会おう(下)」

となっています(詳細は【解説欄】を参照してください)。

 ピエール・ルメートルは、現在のフランス・ミステリー界を代表する作家の一人です。英仏では多くの賞を獲得しています。アメリカの推理小説ばかり読んでいた私にとっては、独創的なサスペンス小説として新鮮な驚きを与えてくれました。

 ルメートルの犯罪小説にしばしば登場するのは、小男のカミーユ・ヴェルーヴェン警部です。ミステリー史上最小の犯罪捜査官らしいです。

 なお、(4),(5)の「天国でまた会おう」は、推理小説とは一味異なるもので戦争文学と呼んだ方がよいかもしれません。ゴンクール賞に輝いたものです。


ピエール・ルメートル
(Pierre Lemaitre)



【解説欄】

▼その女アレックス
 この作品は、カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの第2作目となるものです。パリの路上で若い女(アレックス)が誘拐されるところから物語は始まります。被害者の行方も、身元も、誘拐犯の目的も分からない。地道な捜査と思いがけない展開を経て、捜査の焦点は「女を救えるのか?」から「女は何者なのか?」へと変わっていきます。独創的な物語の展開に、読者は翻弄されることになります。

 日本では「このミステリーがすごい!」や「週刊文春ミステリーベスト10」など、日本のミステリ・ランキング4つをすべて制覇しているそうです 。


 ( 表紙 ) 


▼悲しみのイレーヌ
 実は、この作品がカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの第1作となるもので、ピエール・ルメートルのデビュー作と言われているものです。

 私は原著の発表順ではなく、日本での発売順に合わせてこのシリーズ本を紹介しています。この発売順に読むと物語の中の時間経過と合致するからです。

 ヴェルーヴェン警部は、パリ警視庁犯罪捜査部の刑事ですが、凄惨な殺人事件の捜査現場に呼び出されます。最初からかなり残虐な場面の展開が続くようですが、この物語を楽しむにはそれを乗り切る覚悟が必要です。



 ( 表紙 ) 


▼傷だらけのカミーユ
 カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの第3作ですが、3部作の完結編と言うべきものです。

 推理小説の好きな方はこの三部作を読み切ると、細部に巧妙な伏線が張られていたことに気が付くと思います。あるいは、読了後にもう一度前作を読み返してみて初めてそれに気が付く人もいるかもしれません。


 ( 表紙 ) 


▼天国でまた会おう(上/下)
 この作品は、ルメートルのこれまでの推理小説とは一線を画す内容の大作です。

 第一次世界大戦直後のパリで繰り広げられる詐欺事件の顛末が面白い。戦争、社会、友情、親子といったさまざまなテーマを取り入れたエンターテインメント性と文学性の両方を兼ね備えた作品です。

 主人公のアルベールは気弱で優柔不断ですが、軍隊を志願し戦友エドゥアール・ペリクールとともに第一次大戦の前線で4年に渡る過酷な戦争を生き延びます。アルベールの上官だったブラデルは、戦後実業家となり戦没者追悼墓地の建設で一儲けしようと企んでいます。この三人が繰り広げるドラマです。

 
 ( 上の表紙 )         ( 下の表紙 ) 


▼本の詳細
(1) 「その女アレックス」ALEX, (c)2011 by Pierre Lemaitre:2014年12月5日, 第6刷発行, ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre)著, 橘明美 訳, 定価(本体860円 + 税), 株式会社 文藝春秋, 文春文庫 ル 6 1, ISBN978-4-16-790196-7 C0197

(2) 「悲しみのイレーヌ」Travail soigne, (c)2006 by Pierre Lemaitre:2015年10月10日, 第1刷発行, ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre)著, 橘明美 訳, 定価(本体860円 + 税), 株式会社 文藝春秋, 文春文庫 ル 6 3, ISBN978-4-16-790480-7 C0197

(3) 「傷だらけのカミーユ」SACRIFICES, (c)2012 by Pierre Lemaitre:2016年10月10日, 第1刷発行, ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre)著, 橘明美 訳, 定価(本体 840円 + 税), 株式会社 文藝春秋, 文春文庫 ル 6 4, ISBN978-4-16-790707-5 C0197

(4) 「天国でまた会おう(上)」AU REVOIR LA-HAUT(vol.Ⅰ), (c)2013 by Pierre Lemaitre:2015年10月10日 印刷, 2015年10月15日 発行, ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre)著, 平岡敦 訳, 定価(本体 740円 + 税), 株式会社 早川書房, ハヤカワ文庫 HM ル 5 1, ISBN978-4-15-181451-8 C0197

(5) 「天国でまた会おう(下)」AU REVOIR LA-HAUT(vol.Ⅱ), (c)2013 by Pierre Lemaitre:2015年10月10日 印刷, 2015年10月15日 発行, ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre)著, 平岡敦 訳, 定価(本体 740円 + 税), 株式会社 早川書房, ハヤカワ文庫 HM ル 5 2, ISBN978-4-15-181452-5 C0197


2018年6月1日金曜日

「私の本棚」をアップデートしました

            海外文学:ジェフリー・アーチャー 
            科学評論:ジョージ・ガモフ      
                数学:素数の音楽          
 
http://www.hi-ho.ne.jp/skinoshita/wyoteiblog.htm
 

2018年5月30日水曜日

私の本棚(24):素数の音楽


・ブログ (ドッと混む・Knuhsの書斎) から転載

── 素数の音楽


 私の本棚を紹介します。


 第24回は、素数の音楽という本を取り上げます。


 上掲写真は
・「素数の音楽」
です。

 周知の通り「素数」というのは数学の世界では最も注目度の高いテーマですから、どちらかと言えば技術書という分類に属する本でしょう。しかし素数の研究に取り組んだ数学者たちの業績、歴史、あるいはその裏にある人間臭い数々のエピソードを読んでいると、面白くて、面白くて、思わずのめり込んでしまうのです。もちろん数式も沢山出てきますが、意味を理解するのにそれほど苦労することはないでしょう。一般書と思って気楽に読むことをお勧めします。


【解説欄】

▼素数の音楽
 大きく分けて、次の三つの話題から全体が構成されています。
(1)リーマン予想
 1 からある自然数 n までの間に素数がいくつあるか、その分布はどのように変わるか。この問題の解決に寄与すると思われる「リーマン予想」に取り組んだ人々の記録です。

(2)コンピュータの時代
 コンピュータを用いて巨大な素数を見付ける競争の時代となりました。公開鍵方式での暗号化が可能になるからです。しかし素因数分解が簡単にできる方法さえ見つかれば、今のeビジネスの根幹が崩れてしまう危険性もあるのです。

(3)素粒子との共通性
 数の元素でもある素数の分布(つまりゼロ点の分布)と素粒子の元素のエネルギー準位との間に共通性が見出されました。つまり、数学者の考える元素と物理学者の考える元素との間に共通の性質があることが分かってきたのです。これからの協力が重要になってきました。

 私が特に関心を持ったのは(3)です。興味のある方は是非本書を読むことをお勧めしたいと思います。


 ( カバーの表紙 ) 




 ( 本体の表紙 ) 




 ( 扉 ) 




(目次:11章,12章)  (目次:1章…10章) 


▼著者
 著者のデュ・ソートイは、オックスフォード大学数学研究所の教授であり、科学啓蒙という分野への業績により大英帝国勲章を受章している。


マーカス・デュ・ソートイ
(Marcus du Sautoy)

▼本の詳細

(1)「素数の音楽」THE MUSIC OF THE PRIMES, Copyright (c)2003 by Marcus du Sautoy:2013年10月1日 発行, マーカス・デュ・ソートイ(Marcus du autoy) 著, 冨永星 訳, \890 新潮文庫 シ-38-1, ISBN978-4-10-218421-9 C0198